キャラクター紹介:
瀬戸川家
ひしの<菱野団地>
瀬戸川家の長女。南山大出身。
長女なんだけど、長女らしくない。というか長女の自覚が無い。というより、瀬戸川家の一員という認識が無い。認めたがらない。
都会に憧れてよく名古屋市内に出掛けるんだけど、使うのはいつもバス。
※菱野団地
瀬戸市の中心よりやや南にある、県営団地。
名古屋市内の藤が丘駅や名鉄バスセンター行きのバスがたくさん出ていて、名鉄瀬戸線よりそっちを利用することが多い為、瀬戸というより名古屋市民という意識が強い。
周辺の南山大学瀬戸キャンパス周辺や瀬戸西高校周辺も合わせて光陵中学校区になっており、ほぼ同じ文化圏。
しなの<旧品野町>
瀬戸川家の次女。名古屋学院大出身。 次女なんだけど容姿は長女っぽい。本人もそのつもりで、いつか長女の座を奪い取ってやろうと虎視眈々と狙っている。その為の資金稼ぎと称して、豚を飼ったり道の駅で店を開いたりなんかいろいろやってるらしい。
それでも姉の長女らしさにどこか憧れているのか、移動はやっぱりバス。
※品野
瀬戸市の北東にある、岐阜県と接する地区。瀬戸市内の中では最も遅く、戦後になって瀬戸市と合併した。
国鉄岡多線が全線開通していれば「品野駅」の駅前街として発展するはずだったのだが、国鉄分割民営化で話は完全に立ち消え。しかし未練がましく平成の世のかなり遅くまで交差点に「品野駅前」という名前を付けていた。
域内に名古屋学院大学の本部があったのだが、名古屋市内に逃げられて今は一部の学部があるだけ。最近は「瀬戸豚」なる豚を育てて、道の駅しなので売っている。
みずの<旧水野村>
瀬戸川家の三女。中部大出身。 長女の座を巡って争っている姉二人を白い目で見ている。
都会に憧れているところはひしのと似ているが、実はお花畑で昼寝するのが大好き。
姉と違って電車で移動しているところが自慢だが、昔鉄道なのかバスなのかよくわからない乗り物に乗っていたのは黒歴史。
※水野
瀬戸市の北西にある地区。名鉄瀬戸線や愛知環状鉄道が走っていて交通の便がかなり良い為、瀬戸市の中では割と所得の高い層が住んでいる。しかし中水野駅の方まで行くと農村地帯。
昔は大曽根を起点とする「ガイドウェイバス」のバス部分が水野団地まで延伸していたが、今はもう無い。
はたの<旧幡山村>
瀬戸川家の四女。愛知県立大の学生。 歳の近い塩草海と仲が良い。四姉妹の仲では一番のインテリで、すぐ政治運動をしたがる。しかし飽きっぽい。
移動手段は車だったりバスだったり電車だったりリニモだったりと、結構バラバラ。
※幡野(幡山)
瀬戸市の南部にある地区。東の山口村と西の幡野村が合併して幡山村となり、その後瀬戸市と合併して幡山地区となった。域内を流れる山口川は矢田川の本流なのだが、瀬戸市内では何故かマイナー扱い。瀬戸川が本流だと思われてる。
東側は海上の森の麓に当たる。かつて熾烈な「愛知万博反対運動」が行われた場所。
塩草家
あかづ<旧赤津村>
塩草家の長男。愛知工業大出身。 しなのとは同い年。昔しなのの事が好きだったというトラウマがある。しなのの本性を知ってとうの昔に幻滅しているのだが、よりによって本人に知られてしまっており、何かにつけて脅迫されてしなののくだらない陰謀に付き合わされている。
移動手段は高速道路とか言ってるけどしなのの近くを通りたくないので、実際にはバス。
※赤津
瀬戸市の東側にある地区。旧赤津村といっても江戸時代の話で、瀬戸市の前身の瀬戸町が発足したときには既に版図に組み込まれていた。
昔は名鉄バスの車庫があり、品野や旧藤岡町へのバスも出ていた。今はもう無い。
今世紀に入って東側の山を突っ切るように東海環状自動車道が開通し、赤津ICが出来たが、誰も利用していないことで定評がある。
うみ<海上の森+白坂地区>
塩草家の長女。なにげに東京大学大学院生。生態水文学とかいうよくわからない学問を研究しているらしい。 あかづの妹。はたのとは歳が近く、仲が良い。
森の食材を探すとか行ってよくナイフとフォークを持って海上の森に入っていっている。某有名な祖父と孫を森中追い回したこともあるらしい。
※海上の森・白坂の森
海上の森は、かつて愛知万博のメーン会場が計画されて反対運動の舞台となった場所。その経緯から万博テーマが「環境」に変わり、モリゾー・キッコロというキャラクターが生まれた。
白坂の森は海上の森の北にある森林地帯。東京大学の演習林となっている。組織改編か何か知らないが、現在は「東京大学大学院農学研究科生態水文学研究所」という組織の所属になっているらしい。しかも何故か事務所は、演習林からはかなり離れた五位塚にある。
祖母
懐<祖母懐学区>
瀬戸川四姉妹と塩草兄妹共通の祖母。瀬戸窯業高校デザイン科出身。
本人曰く、昔は萌えキャラだったらしい。しかし現実には残念な血筋の源流。
※祖母懐
瀬戸焼の祖・加藤四郎左衛門景正が窯を開いたと伝わる地、「古瀬戸」の南にある地区。陶器を名古屋に搬出する為の街道「瀬戸街道」の起点で、交通の要所だった。
瀬戸窯業高校は、祖母懐学区では無いがすぐ近くにある日本唯一の窯業高校。そこのデザイン科は昔から、まあ、そっち系の人が行くことで有名。え? そっちってどっちかって? アピタ瀬戸店の本屋行けばわかるよ!